園長先生のよもやま話

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皐月

平成28年5月

 初夏に向かうヨーロッパはもっとも美しいと思います。新緑や色取り取りの花が咲き乱れ、長かった冬を乗り越えた充実感と共に心も解放的になり、そして日の長い一日を楽しむとても素敵な季節だと思います。年々外国からの観光客の増えている日本では、世界中の人たちがその自然と自然の美観を損なわず演出している日本の建物などへの賞賛の声を聴くことが多くなったようです。

皆さんは日本を訪れる外国からの観光客のお薦めスポットをご存知でしょうか?以前のように東京、京都、奈良だけでなく、意外な土地にも関心が集まっています。例えば京都の伏見稲荷。全国のお稲荷さんの総本山です。緑の御本体のある山、その参道には千を超えると言われえている朱の鳥居が並んでいます。この自然の緑に映える朱の鳥居が人気スポットになっています。また観光局の努力のお蔭で広島県を訪れるフランス人が激増しています。これは年に一度の「Japan Expo」に県の観光局が独自に出店し、フランス人に人気のキャラクターを親善大使に仕上げ、クイズに答えてグッズなどを入手できるようにしています。この数年の努力で広島の原爆資料館やドームだけでなく、厳島神社の海と山とが共演している姿に感動するそうです。

西洋の考え方の一つとして、自然と共存するには自然を支配することを第一とすることだと思います。強固な石造りの建物で強度を十分に補強し自然災害から建物や人命を守ることを第一としています。強度を補強するために曲線を用い、力の分散化を図りますが、それ以上に大切なのは建物の堅牢さとなります。自然の力に対抗する方法ですね。一方、日本の考え方は「自然に対抗しても勝つことはできない」という体験に基づいた考え方です。古来より、日本は自然災害の宝庫と言えるほど災害の多い国です。地震や台風、火山の噴火など、今年も犠牲者の出る大変な災害がありました。そこで人々は自然の力を敬い、それを征服することの不可能さを知り、最後の手段として自然と共存する方法を見出すのに力を入れました。地震の揺れに対抗して強度を上げた建物も、いずれは地震に負けてしまうことを知っていました。そこで考えたのが木造建築の建物です。柱に支えられた瓦葺の屋根は柱に縦方向の力を与え強度を増すこととなります。そして揺れはじめ、ある一定の揺れ以上になると、瓦屋根が落ち、屋根の重量を減らし、たとえ屋根が落ちても生活する人間への負荷を最小限にしようとする工夫があります。

今回の熊本城の屋根が正しく機能したことを表しています。また柱は柾目の木を縦方向に使い、壁には柾目の板を横にして使います。こうすると板は湿度と温度で伸縮し、熱く乾いた夏には板の継ぎ目が広がり風通しを良くし、冬の湿気の多いときには板が膨張し継ぎ目を塞ぎ風を止めます。また自然と調和した高度な建築物として京都の三十三間堂があげられます。1266年に建てられた現存している本堂は、地下の基礎を砂を層状にし、地下の振動を吸収するようにされています。また地上部分も揺れを吸収するように設計され、揺れが来た時に波にもまれる船のような動きになるような免振設計になっています。このような日本独自の風土で育まれてきた貴重な文化が失われつつあります。建築だけなく日常生活や社会、ビジネスにも西洋のスタイルが拡がっています。そして何もかもが西洋スタイルが正しいと思いこまれています。しかしすべて正しいのでしょうか。無理やり西洋スタイルを導入することで日本には合わない文化がたくさん入っているのではと考えることがあります。今回の熊本地震で熊本城の屋根瓦が崩れたと悲観的な報道が広がっているようですが、逆に屋根瓦崩れ落ちるように復元した天守閣は見事に先人の知恵を引き継いでいたと言えると思います。

まだまだたくさんある、日本の文化。今私たちは日本を離れ、日本の外から日本を見ることができます。この機会にもう一度、日本を見直してはいかがでしょうか。まだまだ捨てたものではありませんよ。

 
 

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卯月

平成28年4月

 いよいよ新しい年度のスタートです。「卯月」と言う響きに春の独特の香りを思い出すのは私だけでしょうか?15歳頃の春、新築の住宅に引っ越しました。荷物を運び終え真新しい畳の上に寝転がったところ、窓からの春の香りと新しい畳の香りに春を感じました。何か人を油断させるような眠気を誘う薫りだったと記憶しています。

ずっと以前、雪国の営業を担当していた頃、春先に交通事故が増えると言う話を耳にしたことがあります。雪が融けた新緑の山並みの美しさと、春を迎える心の高ぶりが運転の注意をそらし、事故を起こすと聞きました。「雪が融けると何になるか?」との問いに「水になる」と答える人は雪の少ない地方で生活している人たちに多く、「春になる」と答える人は雪国出身者だとの話も聞きました。

ベルギーでは象徴的な春の訪れを感じることはありません。それでも桜やアーモンド、リンゴなどの花がほころび、気温が上がってくると、それは世界共通の春になります。

春は別れの季節であり出会いの季節だと言えます。卒園、卒業、転勤などで旧友たちと別れ、そして入園、入学、入社などで新しい出会いがあります。新しい出会いに胸が弾むような気持になることがあります。人は一人では生きて行くことができません。かと言ってつまらない出会いだけでは退屈してしまいます。後で振り返ると「素晴らしい友との出会いだった」と思えるような出会いがあればいいですね。

幼稚園の新年度もスタートです。それこそ新しい出会いです。今年から当地に越されてきた方たちにはブラッセルという街、ベルギーという国との新しい出会いですね。気候や文化の異なる地での生活は決して楽ではありません。しかし外地で生活することは後々、人生に大きな影響を与えることになると思います。一つ一つの困難を乗り切るごとに、人間としての力がついてきます。そしていつかお世話になった方々へのお礼として、新しく着任された方々の力になることができると思います。また今私たちはどのような姿で当地で生活しているのかを客観的に見ることも必要かと思います。私たちはベルギーのブラッセルの人たちから誘われて当地に来たのではありません。会社が必要として派遣された従業員の家族だということを理解する必要があります。この国に選ばれて生活を始めたのではありません。ましてやこの国に住んでやっているという感覚は絶対に持ってはいけないと思います。ブラッセルでも移民の問題が年々大きくなってきています。その原因の一つはブラッセルに移民の文化を無理やり持ち込み、同化を拒否している姿勢があると思います。そこの住民たちに敬意を払い、その文化習慣を理解し、そしてどうやって友好的に生活できるのかを考える必要があるかと思います。

幸い、現状では日本人が嫌悪されている状態にはなっていません。まだまだ全対数に対して少数派であり、また相手を思う心がある先達たちが残してきた遺産があるからです。しかしそれに自惚れてしまってはいけません。もちろん正当なことは主張する必要があります。そして互いに共存共栄するために協力することの必要もあります。何よりも今一度、自分たちがベルギーで受けている待遇(もしくは扱い)は、たくさんの先達たちの努力によってもたらされたものだと自覚する必要があるかと思います。決して卑下することなく誇りを持って、そして堂々と日本人らしい生活を送ることが当地で心地よい生活ができる原因になるかと思います。

 
 

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弥生

平成28年4月

( 新暦3月の別名「弥生」。草木がいよいよ生い茂る月の意味である )

 今月は日本に祝日の「春分の日」があります。昼と夜の長さが同じと言われていますが、実は日本では昼の方が長くなっているとのことです。いずれにせよ、花が咲き始め、陽射しに力が戻り、春を感じることができる日が多くなってきます。土の中では冬眠中の生き物が息吹を始め、植物の新しい命が誕生し始める季節ですね。

子供たちも実は植物のような存在です。一見何もない所に芽が出て花が咲いて実になっていく植物。そして「種」を残し、再び命を得て生き続ける植物たち。子供たちにも一人ひとりに「可能性」と言う種が必要になります。この種蒔が大人たちの大切な仕事の一つだと思います。何が生まれてくるのかわからずに、ただ種を蒔き可能性の芽がいつでもどこでも元気に発芽するように、大人は子供たちの大地となって可能性を育てていくことが必要です。「子供は大人のミニチュア」ではありません。特に親が願ってもその通りになるとは限りません。それよりもどんな可能性が発芽してもしっかりと育っていく土壌を作り、子供たちの可能性の成長を助ける努力が必要かと思います。親の思うようには育ってくれません。それは子供と言う生き物は親の私物ではないからです。

子育てほど難しい物はないと思います。どんな試験にも正解がありますが、子育てには正解が用意されていません。夜も眠れないほど悩み、涙流しながら子供を育てる。そして一人前に育て上げたときに、その人の子育ての正解がわかるのです。まるで後ろ向きに道を歩いているように、子育てには予測通りと言うことはほとんどありません。しかし、子供たちは大人のその努力している姿をしっかりと記憶しています。今、言葉に表すことができなかっても、絶対将来、子育てに悩んだ親に心から感謝してくれると信じています。子供を育て上げることで、神様からもらった人間としての最後の試験に合格したのだと思います。真心こめて真摯な姿勢で子供を育てていく、現代では難しい課題となりつつあります。

さて幼児期に必要な教育とはなんでしょうか?自分なりに考えていることがあります。まず「己を知ること」だと思います。例えば現地幼稚園に通園させ、ベルギー文化と触れ合い、国際人としての素養を育てることを、せっかくの駐在期間中なので子供に体験させてあげたいと考える保護者はたくさんいます。実際、私自身二人の子供たちへそんな思いを抱いて現地幼稚園生活をスタートしました。上が4歳、下が2歳7か月のことです。なかなかなじめず、下の子は3日で登園拒否。上の子はしぶしぶ幼稚園に通っていました。しかし思うようにフランス語が身に付きません。友達とも最低限のコミュニケーションだけ。先生との会話はトイレに行きたいことも伝えることができませんでした。しかし友達の応援もあって徐々に遊び始めました。下の子は3歳になって再挑戦。あれだけ登園を拒否していたのに3日もすれば友達と仲良く遊び始めました。そして学年末が近い5月下旬、突然幼稚園のカウンセラーから呼び出しが。いったい何があったのかと顔を出すと「上の子供さんは学習能力はあるが、仏語の言語能力が不足している。このままのレベルで1年後、小学校に進学しても1年目の留年は避けられない。まだ1年の準備期間があるので、十分仏語をバックアップしてあげて欲しい。近所のお年寄りに読み聞かせをしてもらったり、そのお話を自分の言葉で説明したりすることで、仏語の能力は上がっていきます。下の子供さんは逆に日本語以上に仏語が身に付いているのではと思うぐらいのレベルまできている。そこで家庭での実情をよく把握して欲しい。

おそらく下の子供さんの日本語は正しくないと思う。家族の会話は日本語、外では仏語と言うチャンネルの切り替えをきっちりとしなければ。2言語が混ざってしまうとセミリンガルと呼ばれる、どっち付かずの言語能力となり、思考の混乱を招いてしまいます。もちろん考え方もそうです。日本的な考え方は家庭で、そしてこちらでの考え方は現地で身に付けるように対応する必要があります」とのお話でした。5歳ぐらいから言葉はコミュニケーション手段だけではなく、思考の道具となっていきます。日本語で物事を考えている時、仏語が思考に混ざりこむと、その日本語訳を考えてしまい、思考が止まってしまいます。そして何を伝えたいのか相手に伝わらなくなってしまい、トラブルの原因となります。

また異文化を知ることも大切ですが、それが幼児期に必要なことでしょうか?あなたの同僚のベルギー人を例にとって考えてみます。一人は日本の事を良く知り、そして日本語も流暢に話すことができます。しかし、反面ベルギーの事は良く知らない人と、英語での意思疎通は可能だが日本語はわからず、そして日本の文化も良く知らないのですが、ベルギーと欧州の事を良く知っている人がいる場合、どちらを同僚に持ちたいか考えてみて欲しいのです。このような状況下ではやはり自国文化を熟知している人の方が同僚にふさわしいと思いませんか?まず自分が何かを知る。幼児期の異文化体験は自分を知らずに異文化を吸収してしまうという現実を考えて欲しいと思います。
子供は大切な宝物です。だからこそ、真摯に子供の事を長い目で考えて欲しいと思います。

 
 

 

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如月

平成28年2月

( 新暦2月の別名「如月」。寒さが厳しく「さらに着る」の意味である )

 2月は28日(閏年は29日)しかありません。これは初代ローマ帝国の皇帝「アウグストゥス」が自分の名前の付いた8月の日数を30日から31日に変更するに当たり、2月から1日を差し引いたためと言われています。ずいぶん乱暴な話ですがローマ皇帝ならそんな暴挙も許されたのでしょう。ちなみ7月の英名Julyはユリウス・カエサルの名前を付けられた月と言われています。7,8月共、後に一年の中に組み込まれたものであり、それ以前の1年は10か月だったと言われています。その根拠として「7」を表す「Sept」が9月に、「8」を表わす「Oct」が10月に、「9」を表す「Nov」が11月に、そして「10」を表す「Dec」が12月についています。欲張りなローマ帝王の為に1年が12か月となったとのことです。
さて日本では3学期にあたる1~3月の事を「1月はいぬ、2月は逃げる、3月はさる」と言われ、あっという間に3か月が終わると言われています。

ふと気が付くと、私たちの幼稚園も卒園式まで1か月と8日となりました。毎年のことながら卒園式へはいつも以上に強い気構えで向かっていきます。何しろ「幼児たちが初めて練習した自分たちの行事」ですので、気持ちよく卒園してもらおうと保育者一同が力を合わせて毎日の園生活を送っています。私たちの幼稚園では幼稚園生活の集大成の行事であると共に、日本人らしさを身に付けてもらう練習でもあります。

簡単に卒園式の小一時間の様子をお伝えしましょう。決まった集合時間に卒園児たちは玄関に集まります。そして在園児、保護者、ご来客の方が席に着くと、保育者のアナウンスで卒園式の開始を告げられます。卒園児は1人ひとり呼名を受け、大きな声で返事をし、教室内に敷かれた赤じゅうたんの上を自分の席に向かって進みます。途中、正面に掲揚された国旗に一礼を行い着席します。卒園児が全員着席すると、修了証書の授与です。一人ひとり呼名され、証書の全文を読上げられ証書を手にします。そして保護者の方に向かって「お父さん、お母さんありがとう」とお礼を言って自席に戻ります。全員が証書を授与され着席すると園長の挨拶があります。その後記念品の贈呈があり、ご来賓の紹介があります。そして卒園児全員で歌を歌い、在園児と共に記念の歌を歌います。その後園の歌を歌い、式場を退席します。

玄関に戻った卒園児たちには会心の笑みが浮かびます。卒園式は小1時間かかりますが、その間卒園児は椅子にもたれることなく正しい姿勢を崩さずに座っています。もちろん、歩く姿や着席、起立の姿も何度も練習し立振舞を正しく身に付けています。お辞儀の姿勢も何度も練習し体得していきます。

毎年のことながら、保護者の方を始め列席していただいた方々から賞賛のお声を頂いています。「どうして子供たちがこのような立派な姿で式典に臨むことができるのだろうか」と言うご質問を頂くことがありますが、その時には「子供だからできないと決めてかかっては子供に失礼だと考えています。子供たちの可能性は大人には見出すことのできない大きなものがある」とお答えしています。「子供だから」「小さいから」と言って可能性を削いでしまうことこそ、大人の行動にふさわしくないものだと考えています。
そして毎年、立派な姿でご両親への感謝を表してくれる卒園児の姿に胸を打たれる思いです。実は卒園式の最良の場所は園長の証書授与の立ち位置なのはあまり知られていません。証書を受け取る一瞬前まで、子供たちの表情に硬さがあり、緊張した心境を見出すことができるのですが、証書を受け取った瞬間、その表情は達成感に包まれ、その瞳はそれまで園長に見せたことのないほど輝いています。
以前、証書授与の介添え役を務めてくれた講師の一人は、その姿に心打たれ「もう少しで号泣するところだった」と言っていました。園長も涙と戦っているひとりです。入園してきた当時の姿が思い出され、そして立派になった姿が涙で曇って見えないこともあります。しかし凛々しい姿で証書を受ける卒園児に涙声で答えるわけにはいきません。涙する保護者の皆さんの姿。ずっと頑張って座ろうとする年中、年少児の姿。保育に携わって頂いた方々の暖かい眼差し。そうして私たちの幼稚園の卒園式は毎年多くの感動と思い出を残して行きます。

厳しい練習で人の話をしっかりと聴くことを体得した子供たちは、小学校に入学してからその成果を発揮することができます。入学式や卒業式など、1年生にとっては難しい話の多い式典がありますが、その話を聴こうとする姿勢があれば、理解できる部分があることがわかるようになります。初めから話が分からないと聴く姿勢を放棄している子供たちは何も得ることができません。何度か出席させていただいた日本人学校の卒業式で自分自身が感じることができました。小学生になり時間が経つときちんと座る友達が少なくなり、自分自身の姿勢も悪くなる子供もいます。しかし一度練習したことがあれば、どのようにすることが式典での正しい姿勢なのかを理解することができます。そして「きちんとしよう」と言われれば、練習を思い出し、正しい姿勢を取ることが簡単にできるようになるのです。
幼児教育の重要性が薄まってきて、保育園との統合が検討されている今の日本ですが、私は幼稚園と保育園の方向性に違いがあっても良いのではと考えています。特にこのような外国では、日本人であることを認識した上で国際交流が必要かと考えています。初めに日本人であること、日本の事を知っていることが子供たちの未来に重要なキーポイントとなると考えています。

さぁ、今年も偉大な未完成の21人の子供達を気持ちよく卒園してもらええるように頑張ろう。

 
 

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睦月
   

                                 
(新暦1月の別名「睦月」。親族一同が集まって宴をする「睦み月」の意味である)

平成28年1月

 

皆様、明けましておめでとうございます。今年も一年、皆様にとって良い年でありますようにお祈りいたします。

年初にあたって今回は私たちの国「日本国」について考えたいと思います。現在、世界の方々から「日本と言う国は過去に文化的に植民化されなかった独自の文化を持っている唯一の国」だとの評価が高まってきており、日本文明は世界8大文明の一つだとも言われています。私自身もその考えに賛同しています。園児たちには「日本は世界で一番古い国」だと教えています。
その起源は紀元前660年とされていて、なんとアメリカでも公式に認められています。賛否両論はありますが、少なくとも「天皇朝」と呼ばれる日本の王朝は今まで不変であったと言えると思います。このような長い歴史を持ちながらも、その時代に応じて文化を受け入れそれを自分たちでより理解を深め日常化させていった力に、今更ながら感心する思いがあります。
約2千年前に手に入れた「漢字」。それを受け入れるだけでなく、そこから「ひらがな」「カタカナ」を生み出していった努力。そして生活する世界に基づいて分けられていった日本語。江戸時代の藩政により、上級武士以外は方言を使っていた時代にもすでに識字率が高く、農家の方でも字を書き読むことができていた、当時の世界では考えられない文化水準の高さ。
そして明治維新と言うある意味での文化革命を成功させ、被植民地化の危険から脱却し、その後世界の国々、特に白人世界と肩を並べるまでに至った歴史は、世界の不思議の一つと言えると思います。にもかかわらず日本文明は孤立した文明とも言われています。特に言語に関して、未だにその起源も不明な部分が多くオリジナルが解明されていない状態ですが、それでも世界に通じる最新テクノロジーの発見や発達が繰り返し日本人の手で行われています。
ここに実は明治時代の日本人、特に高等教育を受けた先達たちの大きな努力があったことはあまり知られていません。彼らは新しく西洋から入ってきた思想や概念などを直接理解するだけでなく、それにふさわしい日本語を漢字を使って表現していました。和製漢語と呼ばれるものです。一つはそれまで使われていた漢字を新たに組み合わせて作った漢語。「科学」「哲学」「郵便」「野球」などです。また従来の意味に新たな解釈を付けた「自由」「観念」「福祉」「革命」などの漢語があります。また「~的」「~法」などの漢語も当時作られたものです。その先達のお蔭でありがたいことに今も日本では日本語で技術や科学的な文献を理解し考えることができるのです。実際に東南アジアの国々では母語があるにも関わらず、理数系の勉強は英語で行っている国もあります(その反動で日本人の英語力は低いと言われていますが)。

今回是非とも書いておきたいことはそのような先達の努力とそして多様な文化を受け入れる土壌を持った日本語の大切さを見直してほしいということです。日本では就学以前から英語の勉強に力をいれている教育方法も目にすることができます。しかし最も大切にすることは自分たちの母語である日本語を正しく使うことだと思います。既にたくさんの有識者たちはその点を指摘しています。言語とはコミュニケーションをとる道具でありますが、それ以上に大切なことは「思考の道具」であると言うことです。十分な日本語能力がないのに正しい思考はできないと考えられています。
日本を離れて生活している時だからこそ、日本語を正確に身に付けそして使いこなせるようにお手伝いするのも大人の仕事だと思います。そして日本語を通して日本の年間行事を正しく理解して世界に発信するのもこれからの世代に必要不可欠な事だと感じています。自分の体験になりますが、もう15年以上も前に、ベルギーの方にボランティアで日本語を教えていたことがあります。その話を知った得意先のフランス人から、それまでに感じなかった敬意を感じたことがありました。日本語を教える事。そしてそれをボランティアで行っていることの2点がとても評価されてのことだと後日知りました。学生時代の語学の先生が「古事記を読まずして、京の名刹を見ずして、桜の花を愛でずにどうして外国語が習得できるのか。それは外国語の表面に触れることにしかならない。自分の文化を知ったうえで初めて外国の人と知的な会話ができる」と言っていたことを思い出しました。

皆さん、もう一度日本、そして日本語、日本文化を見直してみませんか?

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